真田といえば、寡兵で多勢の相手を打ち破る無類のいくさ上手。
真田昌幸は1585年、居城上田城の城外に攻め込んだ徳川軍を国分寺で打ち破り、
その15年後の関ヶ原の戦いでは、家康の子秀忠の大軍をまたも上田城に迎え撃ち
上田城を落とせなかった秀忠は、関ヶ原の戦いに遅参するという失態を演じること
になりました。
昌幸の子幸村は、大阪の陣で赤備え(赤装束)に身を包み、寡兵ながら徳川家康
本陣に突撃を繰り返し、家康をあと一歩のところまで追い込みました。家康本陣の
旗印が敵に倒されたのは、武田信玄に大敗した三方ヶ原の戦い以来のことだった
のです。
戦後、幸村の活躍は様々な形で伝えられ、島津家が国に送った書状には
「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」と絶賛されました。
天下人徳川家康に何度も煮え湯を飲ませた精強真田家をTシャツに表現しました。

