2008年05月16日

坂本龍馬とお龍と島原

08.5.17-1












坂本龍馬の妻お龍(りょう)

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<坂本龍馬の妻>「お龍の写真」は本人 科学警察研究所が結論

坂本龍馬の妻お龍(りょう)(1841〜1906年)の若いころを写したとされながら、
異論もあった写真について、警察庁科学警察研究所が、本人と唯一確定している
晩年の写真と比較し、「別人と示す根拠はない」と結論付けた。鑑定を依頼した
高知県立坂本龍馬記念館(高知市)が15日、発表した。

高知県立坂本龍馬記念館 
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お龍さん、綺麗な方だったんですね。
龍馬が惚れたのも頷けます。

龍馬が最初に島原に来たのは 元治元年(1864)2月に勝海舟に随行して来たのが
最初といわれています。神戸より「翔鶴丸」で海路佐賀関に着き、その後陸路で
島原まで来ています。ときに龍馬30歳。
その後も島原に来ているそうですが、私が現在住んでいる家の前の道を、龍馬と
お龍さんが慶応二年(1866)に新婚旅行で長崎から鹿児島に行く際に通っていると
いう話があります。(本当かどうか知りませんが・・・。)

08.5.17-2










この道を龍馬とお龍さんが通ったとか。

ちなみに日本で初めて新婚旅行をしたのが、龍馬とお龍さんといわれていますね。
  
Posted by ikusanin at 11:49

2008年04月15日

熊本市と熊本城

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熊本城本丸御殿、130年ぶり復元

約130年ぶりに復元された熊本城本丸御殿「昭君之間」。本丸御殿は明治初期の1877年、
西南戦争の際に城内から出火し焼失した。一般公開は20日午後1時から(14日午後、熊本市)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080414-00000038-jijp-soci.view-000
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東京から長崎に転居して約1週間が経ちました。
荷物整理も完了し、たまった仕事に追われる毎日で、併せて
転居に伴う様々な手続きもいろいろ煩雑で、今日でやっと一段落つきました。

一昨日、所用で熊本に行ってきました。熊本城には行けなかったのですが、
上記の記事のように、このほど熊本城本丸御殿が130年ぶりに復元されたそうです。
今月中にもう一度熊本に行く用事があるので、時間が取れれば熊本城に行って
こようと思います。

熊本市は、旧さと新しさが同居した奥行きのある街ですね。
以前、仕事の関係で日本全国を回っていた時期があり、国内では鳥取県と大分県
以外は全て行っているのですが、中でも熊本市はとても好きな街の一つです。
なにより城好きな私にとって、「熊本城」はとてもインパクトがあります。
いずれ時間をつくって、ゆっくり市内を散策してみようと思います。  
Posted by ikusanin at 15:41

2008年03月24日

上杉家墓所の大規模補修終わる

09.3.24










上杉家墓所(山形新聞より)

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上杉謙信と、初代景勝以下上杉家歴代米沢藩主が眠る米沢市の国指定史跡
「上杉家墓所」で、1994(平成6)年から14年を掛けて行われた大規模な補修
工事が終わった。貴重な歴史的建造物の補修終了を祝い、22日には祝賀会が
開かれた。上杉家17代当主の上杉邦憲さん(64)は修復が終わった廟内を
確認し、「歴代藩主の偉大さと歴史の重みをあらためて実感した。
美しく整備された廟を多くの人に見ていただけることがうれしい」と話していた。
(山形新聞3/22より)
http://yamagata-np.jp/newhp/kiji_2/200803/22/news20080322_0332.php
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20代前半の頃、仕事の関係で半年間山形県に住んでいました。
ですが、米沢市には一度も行けずに現在に至っています。
米沢市はご存知の通り、関ヶ原の戦い後、家康により上杉家が転封された地。
上杉神社を始め、上杉記念館や上杉博物館など、上杉家縁の施設が数多く点在して
います。春日山林泉寺には、直江兼続公の墓所もあります。だから一度は行かなければ
いけません。そう思っているのですがそれがなかなか。
墓所の補修も終わったことだし、今年こそは行こう。
でも無理なら来年は絶対・・・。
なにせ来年は直江公が主役の大河が放送される年ですからね。  
Posted by ikusanin at 13:46

2008年03月18日

明治維新で焼失する前の大坂城の写真公開中

大阪城天守閣で、焼失前の大坂城の写真を10日間限定で公開しています。

残念です。
実は、4月上旬に大阪城に行く予定なので、時期が少しズレていれば見れたのですが・・・。
ただ、現在「描かれた大坂城・写された大阪城」というテーマ展が開催中ということなので
見てこようと思います。
大阪城に行くのは10数年ぶりなので楽しみです。

ところで「大阪城」と「大坂城」どちらが正しいかご存知ですか?
答えは、秀吉が築城した城は「大坂城」、現在の城は「大阪城」です。
つまり、「大坂」という地名が明治時代に「大阪」になり、それに伴い城の名称も
変化したということです。ですから焼失前の城は「大坂城」、現在の城は「大阪城」と
いうことになるわけですね。紛らわしいです。

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幕末の大坂城を撮影した写真原版6点が15日から、大阪市中央区の大阪城天守閣で
公開される。明治維新で焼失する前の姿が分かる現存最古とみられる貴重な写真。
光で劣化するため、今回が10年ぶりの公開で、展示は10日間に限定する。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080314-00000026-mai-soci
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大阪城天守閣
http://www.osakacastle.net/  
Posted by ikusanin at 17:16

2008年01月10日

直江兼続文字ろうそく

一昨日、新潟よりお電話を頂きました。

明治26年創業の和ろうそく専門店の「小池ろうそく店」四代目の
小池孝男さんという方からでした。

小池さんは、直江兼続公の大ファンということで、個人的に「直江兼続」
の文字を入れたろうそくを作ったとのことでした。
新潟県の和ろうそくには、文字を入れる風習があるそうで、とても個性的
な商品に仕上がっています。
オリジナルの文字を入れることもできるそうです。

興味がある方は一度HPをのぞいてみて下さい。
http://www.hanarousoku.jp/page20/page.html  
Posted by ikusanin at 15:57

2006年03月30日

謙信vs信玄、遂に決着!?

昨日、新聞のラテ欄を見ていたら、フジテレビ系の「トリビアの泉」で、「子孫対決
武田信玄vs上杉謙信・・・四百年ぶり川中島激突」とありましたので、これは一応
どんなものか確認しなければと思い、観ました。

上杉謙信の末裔の現当主(17代目)と、武田信玄の末裔の現当主(16代目)が
川中島の古戦場でオセロ対決をするというもの。
何故オセロ?どうやら「白黒はっきりさせよう」ということらしい。つまり駄洒落です。
3番勝負で、結果的に2勝1敗で上杉謙信の子孫が勝ちました。
私のご先祖は上杉方でしたので、ちょっと嬉しかったです。
しかし、泉下の謙信公と信玄公はどう思っておられるでしょうか。自分達が命懸け
で5回も戦ったその場所で、子孫がオセロ対決。ちょっと微妙です。

話は変わりますが、私はかなりの負けず嫌いで、遊びでも負けるのは嫌ですし、
ジャンケンですら負けるのは嫌です。
2〜3ヶ月前、友人達と温泉に行ったのですが、その友人の一人が、入浴前の脱衣所
で『腕相撲をしよう!』と勝負を挑んできました。勿論負けず嫌いの私はその勝負
を受けました。その友人は身長190cm近くあり、一方私は170cmちょっと。体格差、
リーチ差がかなりありますので苦戦しましたが、なんとか勝ちました。
そこまではよかったのですが、『ふー、勝った』と思った瞬間、足に痛みが走った
ので見ると、足の指から流血しているではないですか。よく見ると、指の爪が折れ
流血していたのです。素足で踏ん張ったのでそうなったようでした。
その時、『温泉に入る前に、たかが腕相撲で足から流血とは、いったい俺は何を
やっているんだ・・・。』と自己嫌悪になりました。負けず嫌いにもほどがあります
よね。

昨晩のオセロ対決を見ていて、ふと自分の腕相撲のことを思い出したのですが、
来年あたり、オセロ対決第2弾などやらなければいいのですが、武田のご子孫も
負けたままだと納得しないでしょうから、またやりそうな予感がします。
でも、オセロ対決はもうやめましょう。
どうせやるなら、上田真田まつりの「綱引き合戦」のような、後世にも伝承して
いけるような、せめてもう少し風情のあるものでお願いします。  
Posted by ikusanin at 10:32

2006年02月07日

幕末について

幕末についての評価は難しい。
私のように歴史を専門に学んだことがない素人にとってはなおさらです。

敬愛する作家・隆慶一郎氏は語る
『維新というのは判らないですねえ。あまりに利害が錯綜していて。僕にはよく
判らないんですよ。やっている当人は純粋なのかもしれないが、結局はどこかの
利害に踊らされているところがあるでしょう。そこが嫌なんです。』
「かぶいて候(隆慶一郎著)より」

深く同感。
史実についての研究は専門家に委ねるとして、歴史というものの評価は
ある程度の時間が経過しなければ判断できないものなのではないでしょうか。
例えば、戦国時代については残された資料等から長い時間研究されることに
より、現在ではある一定の評価を下すことができます。(もちろん、新資料の
発見により定説が覆ることもままありますが)

織田信長について云えば、確かに暴君だったでしょう。
比叡山の焼き討ちや伊勢長島の一向一揆への攻めをみれば、まさしく
皆殺し、ジェノサイド以外の何ものでもない。その一点は、どんな大義があった
としても、許されるべきことではありません。
がしかし、大きな歴史の流れから俯瞰した場合、やはりあの時期、バラバラ
だったこの国に織田信長という男の存在が必要だったと云わざるを得ない。
ただしそれは、長い時間が経過しているから云えることであり、当時を生きる
人達にとって信長は、まさに狂人か魔王の如き存在だったことでしょう。
そこが歴史の難しいところです。
マクロに見るか、ミクロにこだわるか。それは「目的」を重視するか「手段」を
重視するかという視点にもつながるかもしれない。

幕末の武士で最も人気があるのは、坂本龍馬ですが、龍馬にしても評価は
真っ二つに分かれます。多くは薩長同盟の立役者として、ある意味幕末の
ヒーローにされている視点。これは、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」の影響です。
いわゆる司馬史観。
もう一方は、維新は英仏など外国勢力の影響、もしくは策動により行わていた
とされる論です。詳しくは、「明治維新の舞台裏/石井孝/岩波書店」など参照。
つまり、龍馬はある意味英国の一員として、日本が英米の支配下に置かれる
ことを承知の上で活動していたという大胆な仮説です。
どちらが真実か私には判りません。
龍馬を殺した真犯人が特定されればその背景が見えてくるでしょう。
定説になっているのは、見廻組の佐々木只三郎ですが、薩摩説や長州説など
多々あり定かではありません。
今現在の私の理解する範囲では、龍馬は日本の為に開国することが良いと
判断し純粋に行動していたのではないか。しかし結果的に狡猾なイギリスなど
に利用されてしまった面もあり、最終的に消されたのではないか、と考えています。
明治維新に、英仏などの外国勢力が関わっていたことは間違いないでしょうから
この辺りの判断は実に微妙です。

最初に言ったように、幕末は難しい。
まだまだ私自身勉強不足です。
現在は、戦国時代の勉強で手一杯で、読むために購入した戦国の歴史書が
机の上に山積みになっていて、幕末までとても手が伸ばせません。
戦国時代の勉強がある程度終わったら、幕末に移りたいと思っています。
幕末については、まだまだ学術的にも研究の余地が残されているし、評価が
下されるまでは相当の時間が必要でしょう。

私が幕末の武士の中で興味を持っているのは以下の4人です。
吉田松陰、西郷隆盛、山岡鉄舟、そして土方歳三です。
薩長2人、幕府側2人。良いバランスです。
土方に関しては、歴史の中の役割としてではなく、一人の男の一生として興味を
持っています。私の体内に流れる武士の子孫としての血、もしくはDNAが、彼の
一生に何故か共感を覚えるのです。
この4人を中心にいずれしっかりと明治維新を勉強するつもりです。

でも当分先になるだろうなあ。
戦国時代を理解するだけで、凡人の私にはかなりの時間が必要ですから。
こうなったら速読でもマスターするか。

明治維新の舞台裏 第2版
  
Posted by ikusanin at 09:52

2005年11月25日

謙信兜

歴史好きの友人よりフィギュアをもらいました。
「激闘戦国武将」の上杉謙信。

こういうものがあったんですね。まったく知りませんでした。
陣幕・軍旗・兜がセットになっています。
特に兜が一部金属製で結構重量感があり、いいです。

この兜は、謙信所有の有名な「飯綱権現前立兜」です。
飯綱権現の前立も金属製で細部までよくできています。

Hさん、どうもありがとう。

mono04  
Posted by ikusanin at 13:06

2005年10月15日

こんなところにも土方歳三が...

つい先日、アメリカから友人が遊びに来ていたので多摩を観光案内しました。
そこで定番の、日野市にある「高幡不動」に行ったときのことなんですが。
その前にちょっと「高幡不動」のご説明を。

「高幡不動」正式には、「高幡不動尊金剛寺」といいます。関東三不動の一つに数えられ、室町時代には、関東管領の上杉氏等有力武将の尊崇を得て寺運隆盛を極めたとのこと。またこの時代、関東以北の戦乱の度毎に不動明王が全身に霊汁を流されて奇端を現わした為「汗かき不動」と呼ばれ武人の尊崇を集めたそうです。

さて本題に戻りまして、今まで何度も「高幡不動」には行っており、土方歳三の銅像があるのは知っていましたが(行くと必ず銅像の前で記念撮影するのは定番の行動ですね)、ところが歳三関連の遺品などもあったとは全く知りませんでした。

丈六不動三尊像を中心にたくさんの文化財を収蔵・展示する「奥殿」というところがあります。拝観料大人300円です。(月曜日は休館ですからご注意を)
この館内には、とても立派な重要文化財にもなっている不動像があるのですが、ここに土方歳三の直筆の書状など新選組関連品数点が展示されていたんです。
全く知らなかったなあ。もっとも期間限定なのかも知れませんので、訪れるときは確認したほうがいいかも知れませんね。

私は不動明王像が好きなんですが、高幡不動のお不動様、なかなかのものです。
想定外のところで歳三に出合えてちょっと得した気分になった一日でした。

高幡不動尊金剛寺公式サイト

fudo  
Posted by ikusanin at 12:13

2005年10月01日

明智十兵衛光秀について考える

光秀は裏切り者です。
主君の寝首をかいたわけですから、誰がなんと云おうと間違いありません。

ただ・・・。
私は最近、光秀に関して色々と調べています。
本能寺の変だけにしぼって見ていくと、光秀の動機には大別して4つの見方
があるようです。
1,怨恨説
2,野望説
3,面目説
4,黒幕説
上記の4つは歴史家、つまりは歴史のプロが推測した動機です。
何故なら、光秀がどうして本能寺の変を起こしたのか、光秀の動機に関する
証拠・証言の類が残っていないからです。ですから、いわゆる状況証拠を
もとに歴史家が色々と推論をしているわけです。
歴史というのはそういうものです。スカスカの隙間だらけ。だからこそ面白い
歴史小説が生まれる土壌になるわけです。

そこで光秀のことを調べていたある日、ひらめいたんです。
『もしかしたら、光秀は○○のために信長を討ったのではないか・・・』
前述の4つの動機にしっくりいっていなかっただけに、ピンとくるものが
ありました。それからその仮説をもとに逆説的に資料を見ていくと、様々な
状況証拠という「点」が「線」につながっていきました。

もちろん、素人の勝手な思いつき(妄想ともいう)ですから、この場で声高に
云うつもりはありません。
光秀を主人公にした小説は数多くありますが、「裏切り者」か「英雄」かその
どちらかの視点から書かれているのがほとんどですが、私には第三の視点が
あるような気がしてなりません。

私は本来、光秀のような侍は好きではありません。
しかし、知れば知るほど光秀には何か異質な魅力があるように思えてきたのです。
近頃そういう結論に至りました。

もう少し調べてみようと思います。  
Posted by ikusanin at 11:19

2005年09月07日

SAMOURAI

随分更新を怠っていました。これからはなるべくマメに更新します。

私は普段、香水の類はあまり使わないので全く知らなかったのですが、「サムライ」という
名の
香水があることをつい先日知りました。結構有名なんだそうですね。
全く知らなかったなあ。
なんでも、俳優の反町隆史君なんかが使用していることでも知られているとか。

この「サムライ(SAMOURAI)」は、親日家としても知られる俳優アラン・ドロンが三船敏郎を
イメージしてつくったということでかなり興味をそそられ、早速「楽天」で購入。
調べていたら、同じアラン・ドロンのプロデュースの「ショーグン(SHOGUN)」というのが
あることを知り、一緒に購入しました。

どうでしょう・・・かなりイメージと違いましたね、「サムライ」は。
女性にも人気があるということで少し危惧していたのですが、やっぱり甘すぎますね。
侍というからきっとシャープな感じだと勝手に考えていたので、想定外の香り。もっとも、
アラン・ドロンだから仕方がないですかね。欧米人の侍に対するイメージなんていうのは
かくのごとく曖昧なのかもしれない。
一方の「ショーグン」のほうが私は好みでした。戦国武将が
縁起かつぎで身につけたという
菖蒲を基調にしているというのが”イイ”です。せっかく買ったので、現在「ショーグン」を
使っています。先日のPRIDEミドル級トーナメントでブラジルのショーグンが優勝しましたし、
縁起よし!

ボトルはかなり凝っています。「サムライ」のボトルデザインは、武士の裃(かみしも)。
斜めから見ると感じが出ています。「ショーグン」のボトルデザイン
は肩幅の広い侍だ
そうです。蓋は南蛮形兜という感じですが、どっちかというと西洋甲冑に身を包んだ騎士
という感じですね。

日本人の感性でつくった「サムライ」の香水ができることを期待します。
mono3

  
Posted by ikusanin at 10:45

2005年06月28日

新選組醤油発見!

私は2年前から健康を考えて、無添加や無農薬の食品を食べるように食生活を全面的に
改善しました。しかし全てとなるとお金がかかり過ぎるので、米と調味料だけはこだわる
ことにしています。米と塩、味噌にゴマ油などは近所のナチュラルショップで購入して
いますが、醤油があまり気に入ったものがありませんでした。

隣町にいきつけ(?)のパン屋があるんですが、これが本当に美味しいんです。パサパサ
していなくてもっちりしていて美味い!
おじいちゃんとおばあちゃん二人でやっている小さなパン屋なんですが、11時開店で30分も
するとほとんど売れてしまう評判のパン屋です。
先日そのパン屋に行こうと車を走らせていると、いかにも醤油工場という昔懐かしい
佇まいの醤油蔵が目に入りました。よく見ると直売店が併設されていて、試しに寄って
みました。そこで表題の「新選組醤油」を発見しました。

近藤醸造元「キッコーゴ醤油」、東京で唯一軒の全工程すべて自家醸造している醸造元
だそうです。原料の大豆、小麦は国産、それに自然塩と天然井戸水で1年半から2年
かけて醸造しているこだわりの醤油です。まだすごいのが、醤油蔵は明治初期につくら
れた高さ3メートルの巨大な木製のもろみ桶で仕込みをしています。これだけこだわって、
値段は大メーカーの醤油と同じというのが素晴らしい。

この近藤醸造元の実家と近藤勇や土方歳三が学んだ「天然理心流」の二代目の
道場主の坂本三助が親戚だというところから、この「近藤の新選組醤油」が誕生したらしい。

東京近郊にお住まいの方へこの醤油はおすすめです。
住所は下記の通りです。五日市街道沿いだからすぐ分かる。
東京都あきる野市山田733
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Posted by ikusanin at 11:46

2005年05月17日

小田原に始まり小田原に終わる

そもそも戦国時代というのはいったいいつからいつまでを指すのだろうか?歴史教科書を見ると、応仁の乱(1467年)から北条氏滅亡(1590年)までの123年間となっているのでこれが一応正式な時期なんでしょう。が、歴史学者によっては、応仁の乱(1467年)から室町幕府滅亡(1573年)の106年間、昔の学者に至っては、北条早雲の伊豆堀越公方の国盗り(1491年)から、織田信長が足利義昭を奉じて上洛する(1568年)77年間という人までいます。
 
私は研究家でも学者でもないので偉そうなことは云えませんが、戦国武将といってまず最初に名前が出るのが「北条早雲」ですから、やはり北条早雲の出現から始まるのがシックリきますね。はい。具体的には、伊豆堀越公方の国盗りの1491年から、相模の小田原城を乗っ取った1495年あたりから始まるというのが私の感覚です。そして、終わりはやはり小田原城の陥落による北条氏滅亡の1590年です。
 
何故こんな小難しい話をしたかというと、ホームのSAMURAIYAに「夏草夢跡」という全国の城跡巡りのコーナーがありまして、第1回目をどこにしようと考えたとき、この戦国時代時期にこだわってみようと思ったわけです。結果、第1回目は小田原城、2回目は秀吉の小田原攻めで唯一の殺戮戦となり陥落した八王子城、そして3回目は今月中に伊豆の韮山城に行ってこようと思っています。韮山城は早雲の長年の居城で、この城で生涯を閉じています。そんな関係で、3回にわたって北条関係の城を巡る計画をした次第です。
 
4回目以降は日本全国の名城を訪ねようと思っています。そこでまずはご先祖様がお仕えした、直江の殿様の居城、直江城にしようかと考えているところです。まあもっとも直江城跡には過去2回行っているんですけどね。ただカメラを持っていったことがないので、次はしっかり写真に収めるつもりです。
 
城にはロマンがある。
旅行に行くとどうしてもその土地の城が気になるんですね。
そして城に行くと心がざわつくんです。これはDNAの仕業でしょうか。それとも...。
 
では今日はこのへんで。
 
  
Posted by ikusanin at 12:34